アメリカ人のママと結婚してはや13年、3人のハイブリッド(あえてハーフと呼びません)キッズのパパの子育て奮闘記です。


by takatsugupapa
カレンダー
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
      3年前日本に帰って来て、思ったことの一つに、日本の子供たちはあまり絵本を読まないなあということでした。確かに絵本のほかに雑誌(めばえ とか マミーなど)とかマンガがあるのでこれらにまけてしまうのでしょうか?アメリカでは、ほとんどというか子供向けのマンガなどがないので、親や学校の先生は頻繁に絵本を教育に利用します。幼稚園や小学校低学年でも日本のような共通の教科書がないので、先生たちが各自に絵本や簡単な小説を選んで、それを使って授業を行います。

      僕も幼稚園で教えている時にはよく絵本を利用しました。特に朝のサークルタイムの時などに読み聞かせを行いました。週に一回はローカルの図書館に出向き子供たちは本を1冊借りて、図書館のスタッフによる読み聞かせを楽しんで帰っていました。子供たちの両親には全く図書館に興味のない人、あるいは、スペイン語しかわからないのでどうやって図書館を利用するのかわからない両親もいたので、この週一のイベントは子供たちにとってとても貴重なものでした。また僕も学校で使う絵本を調べたり、大学院の授業でも絵本をどうやって効果的に授業に使うかというクラスを専攻していたのでたくさんの絵本を読むチャンスがありました。

      絵本にもいろいろな種類があって、ただ単に絵がかわいいとか、感動するストーリーだという理由だけで選んで、子供たちに読んであげるとすごく偏ったチョイスになりやすくなります。それぞれの絵本にはいくつかのカテゴリーに分類することができます。それらをあげるとすれば、多文化教育、Cognitive(算数、科学など)、Languages(国語)、History, Colors, Senses, Feelings, Imagination, Friends, Self Help(おトイレについてなど)などがあります。また絵にも、水彩画、油絵、アクリル、写真などがあります。絵本一冊がこうしたカテゴリーに完全に分かれているわけではなく、一つの絵本が複数のカテゴリーに含まれていることが多いです。学校の先生は今日、あるいは今週は何について子供たちを教えるのかプランニングをした上でどういった絵本が適切に利用できるのか研究します。

      そのため学校の先生は、ただ面白そうな絵本を選択して、子供たちに読んであげるのではなくその本を使って何を教えられるのか理解し、レッスンプランを作成するために事前にかなりの準備が必要になります。

      絵本を利用する方法もいろいろあって、前に述べた朝のサークルタイムなどで行うレッスンプランを使う本格的なもの、また給食の後や,もし昼寝の時間があればその前に行う読み聞かせ(先生が子供をひざの上にのせて本を一人ずつ読んであげたり、少人数のグループをつくって本を読んであげるもの)、あるいは午後のQuiet TimeなどでおこなうReading Time(ある一定の時間に各自おのおので本を読む時間、その時は先生も一緒のように自分の本を読みます。(子供はまだ絵本が読めなくてもいいです。絵だけをみても構いません。)このように園、学校ではこうした異なる方法で絵本を活用しています。当然子供たちにその週に図書館で借りた絵本を家に持って帰ってもらい、彼らの両親にも一緒にその本を読むことを勧めます。
     また当然教室にはBook Cornerがあるのですが、そのほかにも教室の様々な場所に本を置いてできるだけ子供が本と接触するチャンスを設けています。(おトイレの前のWaiting Chairsにも置いています。)またBook Cornerは子供たちにとって最も心地良い場所になっています。ふかふかのじゅうたんに、子供用のソファーを置いています。また朝のサークルタイムなどもし子供が参加したくなければ、Book Cornerで静かに本を読むことは全然OKなのです。(サークルタイムは楽しいので,子供がめったにBook Cornerに行くことはありませんが)
     
      このようにアメリカの幼稚園、小学校教育には絵本はとても重要な役割を担っています。次回はこの絵本をレッスンプランを使って読む方法についてもう少し詳しく書いてみたいと思います。
 
     毎年発表されるアメリカの絵本大賞みたいなものにCaldecott Award というものがあります。よく絵本の表紙にメダルのようなマークがついています。日本ではおなじみのJumanjiやPolar Expressなどは受賞作品です。一覧があるので興味があれば一度見てみてください。http://www.ala.org/ala/mgrps/divs/alsc/awardsgrants/bookmedia/caldecottmedal/caldecotthonors/caldecottmedal.cfm
今日の絵本は今年のCaldecott Award 受賞作品である"The House in the Night," illustrated by Beth Krommes and written by Susan Marie Swanson, Houghton Mifflin Co.
# by takatsugupapa | 2009-02-04 20:28 | 幼児教育
     最近、懐かしく思うことの一つに散歩があります。Seneca Falls に住んでいたころは、仕事から帰ると、夕食の後、毎日のように家族でダウンタウンや運河沿いを散歩していました。特に夏はサマータイム制もあって夜9時ごろまでは明るいので途中でよったアイスクリーム屋さんで買った、ソフトクリームを片手に町をぶらぶらしながら、町の人とのちょっとした会話を楽しんでいました。冬でも週に2,3日は、そんなに寒くなければ(時には寒すぎて外出禁止(30分以上)警報がでたりしますが、)防寒具にブーツをはいて雪の上を散歩します。散歩する時はいつも家族全員一緒で、お互いにその日に会ったことなどを話す良いチャンスでもあります。
     
    また子供にとっては散歩は無限大の学びのチャンス(新しい発見)の宝庫でもあります。昔勤めていた幼稚園でも、天候さえ許せば毎日散歩することを奨めました。子供にとって一番簡単に且つ効果的に物事を学ぶ方法は、本当の物(real things)で,感覚(見たり、聞いたり、臭ったり、触ったり)を使うことで、直接的に感覚から学ぶほうほうです。たとえば、幼児が「春」を学ぶとき、本やテレビでも確かにさまざまなことを学べますが、実際に春、外に出てみて道すがら、チューリップや水仙の新芽が土から出ているのを見たり、蝶やテントウムシを見つけたり、春の空気を匂えば、直接的に春を感じることができ、はるかに印象強く学ぶことができるからです。その際に実際にその物(たとえばテントウムシ)を見ながら、大人が補助的にさらに様々な情報(たとえば足の数や、色、など)を加えてあげればもっと効果的です。僕がよくしていたのは、子供(特に赤ちゃん)に実際にいろんなものを触らせてみて、たとえばテントウムシの背中なら、つるつるとか、ブロック塀ならざらざらとか声に出して言ってあげると、その単語と自分が感覚的に見て触っているものを結びつけて、声に出せなくても{ブロックの表面は見た目がこんな感じで、触るとこんな感じなのか、それでこの感覚を日本語ではざらざら(rough)と表現するのか}と理解し始めます。

    また言語についても散歩は効果的です。散歩の途中には、いたるところに文字や数字が書かれているのを目にします。番地の標識だけでも子供にとってみれば最初は訳のわからない絵のようにしか見えなかったものが散歩をつづけるうちにそれが数字であることに気づき、次にどの数字かわかるようになり、またその標識には住所という意味があることにきづくようになります。

    僕の次男についてですが、彼が2才の頃、家族で散歩していると途中うにマクドナルドがありました。時々マクドナルドに寄ってコーヒーを買うのですが、どこへいくのか聞かれると、僕は彼に「マクドナルドよ」と教えてあげていました。そうこうしているとある日散歩していると前にマクドナルドの「M」のマークが見えました。すると次男は「マクドナルド」「マクドナルド」と僕に教えてくれました。その時は「そうよ、マクドナルドがあるな」と答えて歩いているうちに「??? なんでこの子はマクドナルドだと分かったのかな」と考えてみると、次男は、黄色い大きな「m」(彼にとっては絵みたいなもの)とマクドナルドという言葉と、ファーストフードレストランという概念を関係づけることに成功していることに気づきました。そしていまでは(5才ですが)Mcdonaldと書いてあげれば、それをフォニック的に読むこともできるのですが、Mcdonaldという文字を絵(漢字のように)として認識し、それを「マクドナルド」と読め(ホールラングエッジーWhole Language
法的に)、それが世界一のファーストフードチェーンの名前だということ、そして父親の一番お気に入りの店だということも分かるようになりました。

    いろいろ書きましたが、子供にとって自分の身近な周りの世界から信じられないほど多くのことを勉強することができ、大人がそのことをすこしでも気にかけていれば、子供が得られる知識の量は無限大にひろがります。確かに身の回りの世界だけでは限界があるのも確かです。だから子供にとって本(絵本)も散歩と同じかそれ以上に重要な役割を果たすのです。
    
    次回はその本(絵本)について書いてみたいと思います。
    
    今日のお勧め絵本は、Alphabet City by Stephen T. Johnson (Paperback - Nov 1, 1999)
# by takatsugupapa | 2009-01-31 17:44 | アメリカの生活
     アメリカで一から職を探すということは、僕の人生の中で一番難しいことでした。それでも、食べていくには働かないといけないので、いろんなところに面接に行きました。アメリカでは、経験あるいは知識がないとなかなか雇ってくれません。だから最初はただでもいいからその職場で働かせてもらいます。そこで認められてなおかつポジションが空けば、チャンスが生まれます。

     アメリカの幼稚園でやっと先生の職を得たときは、本当にうれしくて(わんぱくキッズとの地獄のように忙しい毎日が待っているとは知らず)マリースと喜びました。

     いざ、先生になってみて、初日家を出る時は興奮していたのですが、車で職場に向かうときふと思ったのは、「本当に変な英語を話すすごいアクセントのある日本人(それも男性)をアメリカ人の子供たち、その父兄、そして同僚が認めてくれるのかなあ」ということでした。それを考え始めるうちに段々と運転する車のスピードが落ちてきて、しまいには暑くもないのに変に冷たい汗をかき始め路肩に車を止めて自分を落ち着かせなくてはいけませんでした。

     なんとか園に到着して、園長(ディレクター)に自分の教室を案内してもらい、「じゃあ、がんばって」って言われ一人教室に取り残されると、車の時よりももっと冷たい汗が出始め、そのうちに息までがうまくできなくなり、気が遠くなりかけたとき、最初の一陣(子供たちはスクールバスで登園します)が教室に入ってきました。とり越し苦労だったのか、ほとんどの子は抵抗なく僕に馴染んでくれあっという間に一日が終わりました。父兄たちも最初は僕との間に壁のようなものを作っていましたが、1か月もすると彼らが「子供たちがいつも家で「Taka」の話ばかりしています。やっとお会いできてよかったです」「うちの娘がTakaにcrush(ぞっこん)なんですよ」なんて言ってくれはじめ、そうなると最初は冷ややかだった周りの同僚もやっと自分のことを認めてくれるようになりました。

     結局、先生として働いている間、子供からは「Takaはジャッキーチェンか?」とは何度か言われましたが、そのほかは父兄からも、園の偉い人(政府の偉い人)からも一度として「英語もろくにしゃべれん日本人が教えられるんか?」なんてことは言われませんでした。皆からはいつも温かくしてもらい本当によい職場でした。

     このように、アメリカでは人口の1/3あるいはそれ以上(大都市ではほとんど)の人がどこからかの移民でありそれぞれ独特のアクセントがあります。メキシカン、チャイニーズ、コリアン、フレンチ、ジャパニーズとそれぞれのアクセントがあります。だから僕は言葉(英語)は自分の言いたいことが相手に伝わるのであれば、アクセントがあっても全然問題ないのだと思います。ただRとかTHの発音(これはアクセントとは違います。)はちゃんと使い分けないと、しゃべっても理解してくれません。僕がまだESL(English as a Second Language)クラスに通っている時に一度先生に「僕の目標はアメリカ人と同じようにしゃべりたいです」というと彼は「その年(20代後半)からでは無理。子供の時なら大丈夫だけど、それにそんな必要ないよ、ちゃんと自分のいいたいことが相手に伝わればアクセントがあっても大丈夫」といってくれ、なんだか目から鱗の気持ちでした。

     そういう意味で、小さい時から色んな人種、いろんなGender(性別)、いろんな文化をもった人がいろんなアクセントで生活にかかわってくれる場を提供でき、またそれを受け入れる子供たちや親はすごいなあと思っていました。

     今日、マリースが長男の小学校に寄ったとき、偶然その小学校の英語の先生に会ったと教えてくれました。その先生はフィリピン人の先生だそうです。ぼくはそれを聞いて長男がとてもうらやましく思いました。というのは、子供たちにとって英語を話すのは白人ばかりではなく、いろんな人種の人が英語を話すし、多少アクセントがあってもそれは全然問題ないことを理解できる絶好のチャンスだからです。そのうえ、英語だけでなく、フィリピンの文化や歴史を学べるのです。親として思うのは英語の授業だけでなく、もっといろんな国の人に学校に来てもらっていろんな話を子供たちにしてもらえるチャンスがこれからも増えることを期待しています。

今日の絵本は、My Teacher's Secret Life (Aladdin Picture Books) (Paperback)
by Stephen Krensky (Author), Joann Adinolfi (Illustrator)
# by takatsugupapa | 2009-01-27 21:18 | アメリカの生活
    今回は食と異文化について考えてみました。
    
時々、実家に帰って食事することがあるのですが、その時によく自分の母親から、「あんた所は朝パン食でしょ、それはよくないは、朝はちゃんとご飯たべないとダメ!」「ご飯たべんと頭よくならんよ!」なんて言われイライラしますが、面倒くさいので「ハイハイ」で済ましてしまいます。でもこころの中では、「パンもご飯も同じ炭水化物やんけ!」とか「パンが主食の国民はアホばっかしかっ!」って叫んでいます。

    この間、なにげなく雑誌かなにかを見ていると、面白い記事を見つけました。それには、「食生活の問題点は・・・ 朝食欠食や偏食や6つの「こ食」などです。と書かれていました。6つのこ食とは、孤食:家族が不在で、1人で食べること。個食:家族それぞれが自分の好きなものを食べること。固食:自分の好きな、決まったものしか食べないこと。小食:いつも食欲がなく、食べる量も少ないこと。粉食:麺類、パン類を主食として好んで食べること。濃食:味の濃いものを好んで食べること。とありました。このような食事が続くと、発育に必要な栄養が偏ったり不足しがちになり、粉食では噛む力が弱くなり、濃食では糖分.塩分のとりすぎになるそうです。

    この記事についてマリースとどうやったらうちの食生活をかえられるか話している時です。

    「孤食はよくないのは分かってるけどお互い仕事や子供はおけいこごとでなかなか時間があわないねー」とマリース。ぼくが、「個食はうちにかぎってないよなあ」って言うとマリースは「うーん、うち、カレーの日は長男だけは、肉じゃがよ。だって彼カレー嫌いなんよ。」僕が「それはよくないなー」っていうと、「でもカレーってすごいカロリー高くて、加工油脂(うちでは加工油脂は最も悪い食べ物の一つとみなしています)の塊なんよー。それだったら肉じゃがのほうがヘルシーよ!」「じゃあ、みんな肉じゃがのほうがええなあー」っていうとマリースは「・・・・・・」固食については、自分がシイタケが食べれないだけにあまりきつく子供にいえないです。

    次に粉食ですが、これには僕もマリースもおかしいなあと思いました。というのは、粉食では噛む力が弱くなるという意見(事実)に反対だからです。パンにもフランスパン、イタリアパンなどはとても固く(at least harder than rice),ラーメン、うどん、パスタなどがご飯よりも柔らかいとは思えないからです。イタリア人、フランス人などの顎が日本人より弱い(噛む力が弱い)でしょうか?日本の主食はご飯なので、そういう文化は大事にしていきたいですが、麺類やパン類がご飯よりも劣っているあるいは、害がある言い方には、少し抵抗があります。もう少し異文化(パン食、麺食の文化)を尊重してもいいような気がしました。

    最後に濃食についてですが、うちの子供たちの間で不思議な傾向が見られます。長男は赤ちゃんの頃から、食事はいつも野菜のすりおろし、飲み物はミルクか水、ジュースはコップにちょびっとオレンジジュース(100%)であとは全部水で薄めたもの、普通なら飲めないしろものを飲ませていました。(はじめての子なので親もやる気満々です)。でも生まれたときからこれなので、彼にとっては全然苦ではなかったようです。4歳の誕生日にはじめてマクドナルドに連れて行き、初めて本当の意味での100%ジュースを飲み、アイスクリームを食べました。(今までだまされていたことに気づきさぞショックだったことでしょう)。その後、次男、長女と誕生し、そのころには長男のときのような食事を作るのが面倒くさいのもあって、長女は1歳の時にはすでにフレンチフライやアイスクリームの虜になっていました。この3人を比べてみると、長男は濃い味のものや甘いものにあまり興味がありません。たとえば彼の嫌いなものは、カレーライス、アイスクリーム、ケーキ、シュークリーム、マヨネーズなどです。また子供会などでもらうお菓子の袋には全く興味がなく、いつまでたってもそのままで床に放置されます。その反対に次男と長女は、お菓子、ケーキ、ジュースなど甘いもの、あるいはソース類には目がなくお腹が減ると2才の長女までが、冷蔵庫を勝手にあけアイスでも見つけようものなら床にしゃがみこみ一心不乱にアイスをむさぼる様子はNight of the Living Deadのゾンビを思わせます。親の取組みかた次第で、こんなに違いがでるのでしょうか?

    色々かきましたが、健康な体づくり、豊かな心を育てる上で大事な「食」、まずは、食事中にはテレビなしから始めたいと思います。

    今日の絵本は「Green Egg and Ham」 です。
# by takatsugupapa | 2009-01-25 18:02 | アメリカの生活
    最近、年の暮れということもあって、ばたばたと毎日が過ぎていくのですが、仕事から家に帰ると急にぐったりと疲れてしまいます。その反動か休日は朝からなんとなくだらーと過ごしてしまいます。マリースは、週のうち何日かは夜仕事があるので、その間は僕が子供(7,6,2歳)の面倒を見るのですが、これが結構大変なんです。まず下の2人を保育園に迎えに行き、家に帰るとマリースが作ってくれた晩御飯の用意、夕食、かたずけ、明日の保育園の用意、上の子の宿題のチェック、そして3人をお風呂にいれてパジャマに着替えさせます。それからベッドに入れる間までに少し時間があるのですが、もうへとへとで、悪いとは思いながら子供たちに勝手に遊んでもらったり、テレビを見てもらったりします。
     昨日ちょっと時間があったので、「Early Childhood Education Today」という本を読んでいると面白いことがかいてありました。それはFriedrich Wilhelm Froebelという人についてです。彼は「Father of the Kindergarten」と呼ばれた人で、その本のなかで「子供にとって遊びは最も純粋で最もスピリチュアルなアクティビティ」だといっています。しかし彼は同時に[無計画な遊びは子供にとってとても危険」だとも言っています。子供が遊びからいろんなことを学ぶとき、guidance, direction,and prepared environmentなしではあまり効率よく学ばなかったり、間違ったことを学んだりする危険性があるといっています。教育者あるいは、親の役割は、子供がしていることをよく観察し、その子供になにができるのか、いつごろにできるようになるのかということをよく理解したうえで、遊びの中から、子供たちを上手に学びへと導いてあげることだと思います。
     この本を読んだあと最近の家での子供の時間の過ごしかたを振り返ってみると、長男はぼーっとテレビを見、その横で次男が一人でなんとかレンジャーのおもちゃで戦闘ごっこをし、長女がお人形ごっこをしている横で、僕が手のかからないことをいいことにテーブルで新聞を読んでいる光景が思い浮かびます。教育者(学校の先生など)はプロなので毎日入念に計画されたシスティマティックなプログラムを創り、子供たちに提供していると思うのですが、僕たち、親の立場からすれば、それを毎日の忙しい生活の中でするのは、かなり難しいことだと思います。それでも、子供たちのことを考えると、もう少し子供の段階的な発達(何歳くらいで、何ができるかなど)について理解する必要があるし、明日からは疲れてちょっと新聞でも読もうかと思うその気持ちの代わりに、10分でも20分でも子供と一緒に本を読んだり、レゴで遊んだり、絵を描いたりしてやろうと思います。そうすれば少しは子供がなにか新しいことを学んでいく助けになったり、子供が大きくなっていく役に立てるのかなあと思います。分かっていても僕もマリースも疲れていてできないことがあるのですが、一緒に子供と遊び、その中で自分が子供たちをうまくガイドすれば、彼らは本当にさまざまなことを効率よく学ぶことができるのだと思うと、なんだか少しわくわくするし、子供と遊ぶのがもっと楽しくなるような気がします。また明日から仕事も子育ても頑張ります。
今日のお勧め絵本は、Chika Chika Boom Boomです。普通のABCの歌じゃなく、ちょっと違うABCのうたです。アメリカにいたとき子供たちに大人気でした。
# by takatsugupapa | 2008-12-26 23:17 | 幼児教育