アメリカ人のママと結婚してはや13年、3人のハイブリッド(あえてハーフと呼びません)キッズのパパの子育て奮闘記です。


by takatsugupapa
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カテゴリ:アメリカの生活( 7 )

Bobby(ボビー)について

アメリカで小学校6年のTeacher's assistant をしていたことのことです。その学校には、一人の男の子がいました。彼の名前はBobbyと言います。Bobbyはとても明るく、ジョークとアメリカンフットボールが大好きなクラスの人気者でした。彼は他の子と同じように授業を受け、ランチタイムには友達と一緒に楽しい時間を過ごし、時にはフードファイトにも参加する普通の男の子です。ただBobbyは生まれたときから、首から下がほとんど動かず、なんとか動く指先でコントロールできる電動の車いすで学校生活を送っていました。授業もみんなと一緒、食べるのも一緒、体育も一緒です。他の子も別にBobbyを特別扱いするわけでもなく(ただ彼が手助けが必要な時はみんなで助けてあげていました。)僕も一度も生徒が彼の陰口などをいっているのをきいたことがありませんでした。唯一困ったことは時々混雑している廊下で(アメリカでは子供がクラスを移動します)Bobbyが電動車いすのタイヤ(結構重いです)で友達の足を轢いてしまうことぐらいです。僕も一度轢かれましたが結構痛いです。子供たちはBobbyが幼稚園の時から一緒なので別になにも特別なことはなく、逆に先生の方が最初戸惑っているようでした。ある先生は最初に彼にあったときに思わず「Bobby!」と言って彼にHigh Five(ハイタッチ)を求めたりしていましたが(Bobbyもとまどっていましたが、)、一か月もしないうちに、廊下で先生は椅子に乗って子供に押してもらい、Bobbyの電動イスとどっちが先に向こうの壁に着くか競争したりしていました。Bobbyにはいつも補助の先生が付いていて、ノートを彼の代わりに書いたり、宿題やテストのときには彼が言ったことをそのまま紙に書いてあげたりしていました。学校は彼にボイスリコグニションが付いたラップトップコンピューターを貸し出したりもしました。(あまり性能が良くなく使えませんでしたが)
学校も生徒も先生もbOBBYの両親もみんなBobbyをみんなと同じ一人の生徒として認め、また彼の身体的Disabilityを理解した上で必要な時は彼を助けてあげていました。それもかなり柄の悪い子供たちもBobbyを友達として付き合っていました。その学校には特別学級(今はそう呼ばないかもしれませんが。)はありませんでした。
Bobbyの他にもKids with Learning Disabilities, ADHDなどの子供もいましたが、サポートが必要な子はちゃんとエイドの人が付き、他の子供と一緒に授業を受けていました。確かに時々授業の進行に支障をきたすこともありましたが、子供たちもそれも授業の一環として受け入れているように見えました。ある日、僕が先生にこうした制度について尋ねてみると、「子供たちにとって、大人になり社会に出るといろいろな人に出会い、そうした人々とうまく生活していかなければならないでしょう。こうしたことを子供のころから経験することが必要で、社会にでたあとでも、自然に、この現代社会(平等ではない社会)に順応し、お互いの違いを理解し、尊重することができるようになるだよ。」と教えてくれました。なるほどなあと思いました。
現在の日本の教育現場についてはよく知りませんが、たぶん同じようなシステムがあるんだと思います。あってほしいです。またこうしたことを授業で教えるというよりは、普段の学校生活の中で当たり前のこととして存在すれば、自然とお互いの違いを認めながら、平等な社会を作る方法を学べるんだろうなあと思います。
今日の絵本は、Special People, Special Ways (Hardcover)
by Arlene Maguire (Author), null (Editor, Illustrator), Sheila Bailey (Illustrator)
by takatsugupapa | 2009-02-09 20:08 | アメリカの生活
     最近、懐かしく思うことの一つに散歩があります。Seneca Falls に住んでいたころは、仕事から帰ると、夕食の後、毎日のように家族でダウンタウンや運河沿いを散歩していました。特に夏はサマータイム制もあって夜9時ごろまでは明るいので途中でよったアイスクリーム屋さんで買った、ソフトクリームを片手に町をぶらぶらしながら、町の人とのちょっとした会話を楽しんでいました。冬でも週に2,3日は、そんなに寒くなければ(時には寒すぎて外出禁止(30分以上)警報がでたりしますが、)防寒具にブーツをはいて雪の上を散歩します。散歩する時はいつも家族全員一緒で、お互いにその日に会ったことなどを話す良いチャンスでもあります。
     
    また子供にとっては散歩は無限大の学びのチャンス(新しい発見)の宝庫でもあります。昔勤めていた幼稚園でも、天候さえ許せば毎日散歩することを奨めました。子供にとって一番簡単に且つ効果的に物事を学ぶ方法は、本当の物(real things)で,感覚(見たり、聞いたり、臭ったり、触ったり)を使うことで、直接的に感覚から学ぶほうほうです。たとえば、幼児が「春」を学ぶとき、本やテレビでも確かにさまざまなことを学べますが、実際に春、外に出てみて道すがら、チューリップや水仙の新芽が土から出ているのを見たり、蝶やテントウムシを見つけたり、春の空気を匂えば、直接的に春を感じることができ、はるかに印象強く学ぶことができるからです。その際に実際にその物(たとえばテントウムシ)を見ながら、大人が補助的にさらに様々な情報(たとえば足の数や、色、など)を加えてあげればもっと効果的です。僕がよくしていたのは、子供(特に赤ちゃん)に実際にいろんなものを触らせてみて、たとえばテントウムシの背中なら、つるつるとか、ブロック塀ならざらざらとか声に出して言ってあげると、その単語と自分が感覚的に見て触っているものを結びつけて、声に出せなくても{ブロックの表面は見た目がこんな感じで、触るとこんな感じなのか、それでこの感覚を日本語ではざらざら(rough)と表現するのか}と理解し始めます。

    また言語についても散歩は効果的です。散歩の途中には、いたるところに文字や数字が書かれているのを目にします。番地の標識だけでも子供にとってみれば最初は訳のわからない絵のようにしか見えなかったものが散歩をつづけるうちにそれが数字であることに気づき、次にどの数字かわかるようになり、またその標識には住所という意味があることにきづくようになります。

    僕の次男についてですが、彼が2才の頃、家族で散歩していると途中うにマクドナルドがありました。時々マクドナルドに寄ってコーヒーを買うのですが、どこへいくのか聞かれると、僕は彼に「マクドナルドよ」と教えてあげていました。そうこうしているとある日散歩していると前にマクドナルドの「M」のマークが見えました。すると次男は「マクドナルド」「マクドナルド」と僕に教えてくれました。その時は「そうよ、マクドナルドがあるな」と答えて歩いているうちに「??? なんでこの子はマクドナルドだと分かったのかな」と考えてみると、次男は、黄色い大きな「m」(彼にとっては絵みたいなもの)とマクドナルドという言葉と、ファーストフードレストランという概念を関係づけることに成功していることに気づきました。そしていまでは(5才ですが)Mcdonaldと書いてあげれば、それをフォニック的に読むこともできるのですが、Mcdonaldという文字を絵(漢字のように)として認識し、それを「マクドナルド」と読め(ホールラングエッジーWhole Language
法的に)、それが世界一のファーストフードチェーンの名前だということ、そして父親の一番お気に入りの店だということも分かるようになりました。

    いろいろ書きましたが、子供にとって自分の身近な周りの世界から信じられないほど多くのことを勉強することができ、大人がそのことをすこしでも気にかけていれば、子供が得られる知識の量は無限大にひろがります。確かに身の回りの世界だけでは限界があるのも確かです。だから子供にとって本(絵本)も散歩と同じかそれ以上に重要な役割を果たすのです。
    
    次回はその本(絵本)について書いてみたいと思います。
    
    今日のお勧め絵本は、Alphabet City by Stephen T. Johnson (Paperback - Nov 1, 1999)
by takatsugupapa | 2009-01-31 17:44 | アメリカの生活
     アメリカで一から職を探すということは、僕の人生の中で一番難しいことでした。それでも、食べていくには働かないといけないので、いろんなところに面接に行きました。アメリカでは、経験あるいは知識がないとなかなか雇ってくれません。だから最初はただでもいいからその職場で働かせてもらいます。そこで認められてなおかつポジションが空けば、チャンスが生まれます。

     アメリカの幼稚園でやっと先生の職を得たときは、本当にうれしくて(わんぱくキッズとの地獄のように忙しい毎日が待っているとは知らず)マリースと喜びました。

     いざ、先生になってみて、初日家を出る時は興奮していたのですが、車で職場に向かうときふと思ったのは、「本当に変な英語を話すすごいアクセントのある日本人(それも男性)をアメリカ人の子供たち、その父兄、そして同僚が認めてくれるのかなあ」ということでした。それを考え始めるうちに段々と運転する車のスピードが落ちてきて、しまいには暑くもないのに変に冷たい汗をかき始め路肩に車を止めて自分を落ち着かせなくてはいけませんでした。

     なんとか園に到着して、園長(ディレクター)に自分の教室を案内してもらい、「じゃあ、がんばって」って言われ一人教室に取り残されると、車の時よりももっと冷たい汗が出始め、そのうちに息までがうまくできなくなり、気が遠くなりかけたとき、最初の一陣(子供たちはスクールバスで登園します)が教室に入ってきました。とり越し苦労だったのか、ほとんどの子は抵抗なく僕に馴染んでくれあっという間に一日が終わりました。父兄たちも最初は僕との間に壁のようなものを作っていましたが、1か月もすると彼らが「子供たちがいつも家で「Taka」の話ばかりしています。やっとお会いできてよかったです」「うちの娘がTakaにcrush(ぞっこん)なんですよ」なんて言ってくれはじめ、そうなると最初は冷ややかだった周りの同僚もやっと自分のことを認めてくれるようになりました。

     結局、先生として働いている間、子供からは「Takaはジャッキーチェンか?」とは何度か言われましたが、そのほかは父兄からも、園の偉い人(政府の偉い人)からも一度として「英語もろくにしゃべれん日本人が教えられるんか?」なんてことは言われませんでした。皆からはいつも温かくしてもらい本当によい職場でした。

     このように、アメリカでは人口の1/3あるいはそれ以上(大都市ではほとんど)の人がどこからかの移民でありそれぞれ独特のアクセントがあります。メキシカン、チャイニーズ、コリアン、フレンチ、ジャパニーズとそれぞれのアクセントがあります。だから僕は言葉(英語)は自分の言いたいことが相手に伝わるのであれば、アクセントがあっても全然問題ないのだと思います。ただRとかTHの発音(これはアクセントとは違います。)はちゃんと使い分けないと、しゃべっても理解してくれません。僕がまだESL(English as a Second Language)クラスに通っている時に一度先生に「僕の目標はアメリカ人と同じようにしゃべりたいです」というと彼は「その年(20代後半)からでは無理。子供の時なら大丈夫だけど、それにそんな必要ないよ、ちゃんと自分のいいたいことが相手に伝わればアクセントがあっても大丈夫」といってくれ、なんだか目から鱗の気持ちでした。

     そういう意味で、小さい時から色んな人種、いろんなGender(性別)、いろんな文化をもった人がいろんなアクセントで生活にかかわってくれる場を提供でき、またそれを受け入れる子供たちや親はすごいなあと思っていました。

     今日、マリースが長男の小学校に寄ったとき、偶然その小学校の英語の先生に会ったと教えてくれました。その先生はフィリピン人の先生だそうです。ぼくはそれを聞いて長男がとてもうらやましく思いました。というのは、子供たちにとって英語を話すのは白人ばかりではなく、いろんな人種の人が英語を話すし、多少アクセントがあってもそれは全然問題ないことを理解できる絶好のチャンスだからです。そのうえ、英語だけでなく、フィリピンの文化や歴史を学べるのです。親として思うのは英語の授業だけでなく、もっといろんな国の人に学校に来てもらっていろんな話を子供たちにしてもらえるチャンスがこれからも増えることを期待しています。

今日の絵本は、My Teacher's Secret Life (Aladdin Picture Books) (Paperback)
by Stephen Krensky (Author), Joann Adinolfi (Illustrator)
by takatsugupapa | 2009-01-27 21:18 | アメリカの生活
    今回は食と異文化について考えてみました。
    
時々、実家に帰って食事することがあるのですが、その時によく自分の母親から、「あんた所は朝パン食でしょ、それはよくないは、朝はちゃんとご飯たべないとダメ!」「ご飯たべんと頭よくならんよ!」なんて言われイライラしますが、面倒くさいので「ハイハイ」で済ましてしまいます。でもこころの中では、「パンもご飯も同じ炭水化物やんけ!」とか「パンが主食の国民はアホばっかしかっ!」って叫んでいます。

    この間、なにげなく雑誌かなにかを見ていると、面白い記事を見つけました。それには、「食生活の問題点は・・・ 朝食欠食や偏食や6つの「こ食」などです。と書かれていました。6つのこ食とは、孤食:家族が不在で、1人で食べること。個食:家族それぞれが自分の好きなものを食べること。固食:自分の好きな、決まったものしか食べないこと。小食:いつも食欲がなく、食べる量も少ないこと。粉食:麺類、パン類を主食として好んで食べること。濃食:味の濃いものを好んで食べること。とありました。このような食事が続くと、発育に必要な栄養が偏ったり不足しがちになり、粉食では噛む力が弱くなり、濃食では糖分.塩分のとりすぎになるそうです。

    この記事についてマリースとどうやったらうちの食生活をかえられるか話している時です。

    「孤食はよくないのは分かってるけどお互い仕事や子供はおけいこごとでなかなか時間があわないねー」とマリース。ぼくが、「個食はうちにかぎってないよなあ」って言うとマリースは「うーん、うち、カレーの日は長男だけは、肉じゃがよ。だって彼カレー嫌いなんよ。」僕が「それはよくないなー」っていうと、「でもカレーってすごいカロリー高くて、加工油脂(うちでは加工油脂は最も悪い食べ物の一つとみなしています)の塊なんよー。それだったら肉じゃがのほうがヘルシーよ!」「じゃあ、みんな肉じゃがのほうがええなあー」っていうとマリースは「・・・・・・」固食については、自分がシイタケが食べれないだけにあまりきつく子供にいえないです。

    次に粉食ですが、これには僕もマリースもおかしいなあと思いました。というのは、粉食では噛む力が弱くなるという意見(事実)に反対だからです。パンにもフランスパン、イタリアパンなどはとても固く(at least harder than rice),ラーメン、うどん、パスタなどがご飯よりも柔らかいとは思えないからです。イタリア人、フランス人などの顎が日本人より弱い(噛む力が弱い)でしょうか?日本の主食はご飯なので、そういう文化は大事にしていきたいですが、麺類やパン類がご飯よりも劣っているあるいは、害がある言い方には、少し抵抗があります。もう少し異文化(パン食、麺食の文化)を尊重してもいいような気がしました。

    最後に濃食についてですが、うちの子供たちの間で不思議な傾向が見られます。長男は赤ちゃんの頃から、食事はいつも野菜のすりおろし、飲み物はミルクか水、ジュースはコップにちょびっとオレンジジュース(100%)であとは全部水で薄めたもの、普通なら飲めないしろものを飲ませていました。(はじめての子なので親もやる気満々です)。でも生まれたときからこれなので、彼にとっては全然苦ではなかったようです。4歳の誕生日にはじめてマクドナルドに連れて行き、初めて本当の意味での100%ジュースを飲み、アイスクリームを食べました。(今までだまされていたことに気づきさぞショックだったことでしょう)。その後、次男、長女と誕生し、そのころには長男のときのような食事を作るのが面倒くさいのもあって、長女は1歳の時にはすでにフレンチフライやアイスクリームの虜になっていました。この3人を比べてみると、長男は濃い味のものや甘いものにあまり興味がありません。たとえば彼の嫌いなものは、カレーライス、アイスクリーム、ケーキ、シュークリーム、マヨネーズなどです。また子供会などでもらうお菓子の袋には全く興味がなく、いつまでたってもそのままで床に放置されます。その反対に次男と長女は、お菓子、ケーキ、ジュースなど甘いもの、あるいはソース類には目がなくお腹が減ると2才の長女までが、冷蔵庫を勝手にあけアイスでも見つけようものなら床にしゃがみこみ一心不乱にアイスをむさぼる様子はNight of the Living Deadのゾンビを思わせます。親の取組みかた次第で、こんなに違いがでるのでしょうか?

    色々かきましたが、健康な体づくり、豊かな心を育てる上で大事な「食」、まずは、食事中にはテレビなしから始めたいと思います。

    今日の絵本は「Green Egg and Ham」 です。
by takatsugupapa | 2009-01-25 18:02 | アメリカの生活
     この間、久しぶりにおもしろい映画を観ました。「Gone Baby Gone」です。監督はべんアフレック、主演はケイシーアフレック、ミシェルモナハン。ストーリーは下層階級が住む小さな町で起こった少女誘拐事件についてです。子供にとって幸せとは何かとても考えさせられました。
     またアメリカに住んでいた時のことを思い出しました。僕が勤めていた幼稚園はまさにこうした低所得家族とその子供たちをサポートする園で、毎日この映画の出てくるような人々を相手にしていたことを思い出しました。
    6歳のマイケルは、物心ついた時には、お母さんは失踪していて、お父さんとその両親と一緒に生活していましたが、ある日そのお父さん(ドラックディーラー)も麻薬不法所持で刑務所へ。パトリックの母親も刑務所から出てきた夫(自分の娘に対する性的虐待の罪)が子供たちをメキシコへ連れ去ってしまうのをいつも恐れていました。子供の失踪事件の多くはこうした身内による犯行が多いそうです。
     様々な境遇の子供たちと関わってきましたが、その中でもキャサリンは今でも心に残っています。最初、彼女はとてもおとなしいブロンドヘアー、ブルーの目がとてもきれいな女の子でした。ある日突然、トイレに行くのを嫌がったり、昼寝をするのを極端に恐れ、先生の言うことを全く聞かなくなりました。前から、キャサリンのお母さんはシングルマザーで、以前ドラック中毒だったことなどは聞いていましたが、最近では、ボーイフレンドともうまいくっているし、毎週きちんと依存症ミーティングにもでていました。ただキャサリンの変わり様は普通ではなかったのですぐに家庭訪問にいきました。そこで、彼女のお母さんとボーイフレンドに最近キャサリンが描いた一枚の絵を見せてもらいました。そこにはキャサリンとモンスターそれも股間に槍のようなものをつけているモンスターが描かれていました。すぐに彼女が何かを訴えているのがわかりました。カウンセラーと連絡をとりつつ調べていくと、キャサリンのお兄さんが彼女に性的虐待を加えていることがわかりました。すぐにお兄さんは施設に送られましたが、母親にとってみれば、自分の子供が被害者であり、加害者であり、とても複雑な気持ちだっただろうと思います。それから2、3か月ほどして、キャサリンはなんとか落ち着いてきたのですが、今度はお母さんの様子がおかしく、今までは忘れたことのないミーティングをすっぽかしたりし始めました。そうこうしているとある日、忘れもしませんクリスマスイブの前日、児童保護官が園に訪れ、キャサリンを引き取りに来ました。じつは彼女の母親が自分で電話して、彼女を育てるのを諦めたいと伝えたのです。彼女はその時、ボーイフレンドが彼女のもとを去ったことに耐えられなくまたドラック(コカイン)を使用し始めていました。その日、母親は園に現れることもなく、キャサリンはこれからどこへ行くのかも知らされないまま、保護官に連れられて園を去りました。最後に彼女を抱きしめてあげる他、僕たちにはなにもできることがありませんでした。
     反対にものすごく貧しい家庭環境の中でも優しい両親とその家族に囲まれて育っている子供たちもいました。確かに家はえっつこれが家なの!という家に家族全員が一部屋で寝起きし、着る物も、食べるものも満足にそろわない状況なのですが、その子供たちは明るく元気に園へ来ていました。
     子供たちにとっての幸せとは何なのでしょうか?恵まれた家庭環境で過ごすことでしょうか?あるいは、どんなに悪い親であっても本当の親と一緒にいることでしょうか?
     このように僕は、今までのこうした経験で、多くの悲しい子供たち、もう少しでも子供のことを考えろよと言いたくなる親たちを見てきました。いくらきつく叱ったり、自分の機嫌が悪いのを子供にぶつけても、子供は次の日にはパパ~といってギュッとだきしてめてくれます。そんな簡単なことがしたくてもできない子供たちがこの世にはたくさんいます。子供にとってはどんなに悪い、どうしようもない親でも、かけがえのない親です。そんな純粋な子供の気持ちに応えられるような親になれるように毎日がんばっていきたいです。またすこしでも子供と接する時間があればできるだけ一緒にいてあげたいと思います。
     あれ以来、キャサリンとは会っていませんが、今年のクリスマスには、キャサンリンがツリーの前で彼女のママをギューと抱きしめることができればいいのにと思います。
by takatsugupapa | 2008-12-22 21:08 | アメリカの生活

Don't ask, don't tell

    最近ニュースでフィリピン人家族の強制退去の話をみました。詳しいことはよくわからないので勝手なことは言えませんが、13歳の女の子にとってはすごいかわいそうだなと思います。記事については、   http://mainichi.jp/select/wadai/news/20081121ddm041040040000c.html
    これで思い出したことを書きます。アメリカのNY州の幼稚園で働いていた時のことです。この幼稚園はとてもユニークな園で、農業に従事している家族のために作られたものです。最近ではとくに、季節労働者が多いです。そのほとんどは、メキシコ人、ハイチ人で占められます。彼らは、季節ごとに、フロリダ州でオレンジの収穫を、そのあとジョージア州でピーチ、ニューヨーク州でリンゴやブドウの収穫とアメリカ中を移動します。当然彼らには子供がいるわけでそうした子供たちが、アメリカの小学校にうまく適応できるようにサポートするための施設なのです。
    ただ問題は、その家族のほとんどが、不法移民だということです。アメリカにはたとえ両親が違法に移住してきていようと、その子供たちにはちゃんとした教育を受ける権利があるので、学校に行くことができます。僕が務めていた園でも、当然入園の前に両親に会いさまざまな情報を聞かないといけないのですが、「あなたは、労働ビサをもっていますか?」とか「どうやってアメリカに来ましたか?」等という質問はききません。それを聞いて、不法滞在者だということが分かれば、法的な対処をしなくてはいけなくなるし、知ってて黙っていれば自分が法を犯したことになってしまいます。そこでこの「Don't ask、don't tell」という法律が活きてくるのです。余計なことは聞かないし、聞きたくないし、それですべてうまくいくならそれでいいとう、すごくアメリカ的な考えだと思います。もともとはクリントンが作った法律で、軍隊に入るときに、自分がホモセクシュアルかどうかを、軍は尋ねないし、答えないというものです。
    ただ危険を伴うこととなると話は別です。たとえばある日6歳の男の子ホーヘイの迎えにお姉さんのアンジェラが園に来ました。彼女はどう見ても10代前半なので、年を聞いてみると15歳でした。ぼくは、アンジェラに、「お父さんかお母さんは?車にいるの?」と聞くと、「ううん」という答え。その幼稚園はわりと郊外にあるので、自動車(子供たちはスクールバスで通学します。)が必要なのですが、「どうやってきたの?」と尋ねると「車」とのこと。ぼくは訳がわからず、冗談で「アンジェラが運転してきたの?」と聞くと「うん、そうよ」と全然悪びれる様子もなく、「お父さんに頼まれて来たの」と。これには、さすがに僕もちょっと、というよりかなりまずいのですぐ両親に連絡してダメだと告げました。
    今の例は特別にしても、この「Don't ask,don't tell」のルールはお互いの無意味な衝突をさける、便利なルールです。こうしたルールがあるおかげで、アメリカ人がしないようなきつい仕事をしてくれる人々がいて、そのおかげで、僕たちはリーズナブルな野菜や果物をてにいれることができています。(こうした人々を利用して、ひどい待遇をしていた人たちもいましたが)。そうした季節労働者(Migrant Farm Workers)の家族とその子供たちと知り合い、少しでも手助けできたことは、今でも僕にとって大きなl誇りです。
    今日のお勧め絵本はAmelia's Road by Linda Jacobs Altman and Enrique O. Sanchez (Paperback - Sep 1995)アメリカの季節移動労働者とその女の子のお話です。ライフログみてね。
by takatsugupapa | 2008-12-04 20:30 | アメリカの生活
    週末にマリースのお姉さんクリスティーンから電話がありました。その中で、クリスはこの間、車を運転中に鹿を轢いた(というより鹿に体当たりされた)そうです。NY州のSeneca Falls市(村?)に住んでいるのですが(http://www.senecafalls.com/興味があったらみてみて)、マンハッタンとは違いものすごい田舎で道路も地平線までまっすぐ林の中やトウモロコシ畑の中を通っています。そのため運転中、特に夜気をつけないと、鹿が道路を横切るのです。クリスが運転中にメスの鹿が運転席側に体当たりして窓ガラスは大破、そのままボンネットを飛び越え闇の中へ。幸い対向車もなくけがもなかったのですが、もし鹿がオスなら、体も大きいし、角があるのでとても危険です。
    僕がまだアメリカに住んでいる時のことですが、それもクリスでしたが、子供の鹿を轢いてしまい、警察をよんだことがあります。事情聴取も終わり最後にお巡りさんは、クリスに「どうする?」と聞きました。なにをどうするのかなあと思っていると、どうやらその鹿を持って帰るか、市の人に処分してもらうか聞いていました。クリスは持って帰ることにしました。そこですぐ隣のおじさんに電話して現場(森の中)まできてもらいました。僕も興味があったので一緒についていきました。12月だったと思います。10時過ぎてたとおもいます、あたりは真っ暗で道路からガードレールをまたぐとそこは完全に木がうっそうと茂っているようなところでした。そこに力なく横たわっている鹿を前に、僕はどうやってもってかえるのかなあと思っていると、おじさんはおもむろに刃渡り30cmはあろうかというサバイバルナイフをとりだすとのどから腹にかけてあっという間に切り裂いてしまいました。内臓とかを手で掻き出していると、いや~な生臭い匂いがあたり一面に漂い、内臓からは蒸気がもやもや上がっているのを見ていると来るんじゃなかった~と思いつつ、殺人犯もこんな気持ちで死体とか捨てに来るのかななんて馬鹿なことを考えたているところでした。気がつくとすでに肉と皮だけになったバンビをおじさんがトラックの荷台にのせているところでした。その後一同帰宅しました。帰りにおじさんは「轢かれたわりには内出血だすくないんで、肉も大丈夫だったから、おいしいよ」とにっこり。当然ですが、持って帰るというのは、「その肉を食べるから持って帰る」という意味で、内心僕は、ええ~これ食べるの~、来るん(見るん)じゃなかった~と思いました。
    そんなことを思うにはその日だけで、次の日には、家族みんなで、すごいおいしい鹿肉のシチューをいただきました。(鹿さんごちそうさま)
    PS.道を走っているとよく見るのは、リス、アライグマ、オポッサム、キツネ、スカンクの死骸です。特にスカンクはものすごい臭い(舌や鼻の中がしびれるようないや~なにおい)がします。ハンティングの途中などでスカンクにスプレーされると、スカンクのにおいは洗っても取れないので(トマトジュースで洗うといいといわれています)靴やズボンなどは地中にうめてしまいます。
by takatsugupapa | 2008-12-02 20:29 | アメリカの生活