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アメリカ人のママと結婚してはや13年、3人のハイブリッド(あえてハーフと呼びません)キッズのパパの子育て奮闘記です。


by takatsugupapa
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JUNOを観て(10代のシングルマザーから学んだこと)

     昨夜、マリースと久しぶりにビデオを観ました。「Juno」という高校生の女の子が妊娠してしまい、自分では育てられないので、子供のできないカップルに譲るというストーリーでした。主人公とその家族、ボーイフレンドがあまりに冷静で現実身が少しないようにもおもえましたが。
     というのも僕はアメリカで10代のシングルマザーと関わる機会がありました。彼らはもっと現実的な問題にぶち当たっていたようでした。僕が初めてアメリカに渡って、どうにか仕事を見つけようとしていた時にとても興味深い職を募集しているのを僕のEnglish Teacherが見つけてくれて、「Takaにぴったりだからやってみなさい」と推薦してくれました。それがBOCESというNY州のプログラムの一つで、どうしても普通の中学、高校に馴染めない、あるいはある理由で学校に行けない子供たちのための学校でその生徒たちのサポートと彼らの子供たちのサポートをする職でした。
      初日、朝学校について校舎に入ってみると、それはまるで映画の中にでてくるような高校の廊下一杯にあふれた若者の群れがそこにありました。あるカップルは堂々とキスしてるし、あるアフリカ系の男の子は、見上げるほど大きく刺青をした丸太のような腕を友達に見せているし、その周りをヒップホップみたいな格好した男の子たちが走り回っていました。一応先生は廊下にいるのですが、ほとんど無視というよりその中に溶け込んでいる風な先生ばかりでした。内心「絶対無理、こんなとこで絶対働けない、もう帰ろう、Bob(僕の英語の先生)、なんでこれが僕にぴったりなの!僕の方が子供に見えるような子ばっかしで、なんのサポートするのよ!」とさけんでいました。
     一番奥にある教室に入るとそこは、廊下とは少し雰囲気が違い少し落ち着いた感じでした。そこには僕のほかに3人のスタッフとスクールカウンセラーがいました。彼らにあいさつを済ませると、ちょうど子供や赤ちゃんをつれた女の子たちが次々に入ってきました。17歳のお母さんが2人、16歳のお母さんが3人、13歳のお母さんが1人、15歳のお母さんが2人でした。その中でボーイフレンドと一緒に来たのは1組でした。そのほとんどの生徒はシングルマザーでした。それでも、どうにかして子育てしながら高校を卒業しようと思っている子ばかりでした。
みんな僕に一瞥くれる(それも刺すような冷たい視線)だけで、僕にはものも言わず子供をおいて出て行きました。
     彼らに認められるのに約一か月程かかりました。最初は挨拶もしてくれなかったのですが、彼らの子供たちが僕に慣れてきはじめると、少しづつですが話をしてくれたり、僕が言うことを聞いてくれるようになってきました。
     ただ17歳のモニカは別でした。モニカはダコタという2才の女の子の母親でとても気性の激しい子で学校でも有名でした。以前、化学の先生と口論になりカフェテリアのキッチンへ行って包丁をつかむと叫びながら教室に戻ろうとしたそうです。その途中で校長先生にとめられたそうですが、。モニカはよく授業中にダコタに会いに僕たちの部屋にやってきました。そんなときはいつも先生とけんかしていたり、何か気に入らないことがあるときでした。僕はドキドキしながらカウンターの上に置いてあるフォークとかをそっと隠したりしていました。しばらくモニカはダコタが遊んでいる姿とか、昼寝をしているのを眺め、気が鎮まったのかそっと部屋をでていくことがよくありました。ダコタはお母さん譲りのブロンドヘアーとブルーの目をしたかわいらしい子でした。彼女はどういうわけかお母さんとは違い僕によくなついてくれました。僕もそのころは子供がいなかったのですが、自分の子供のように可愛がっていました。こうした子供にとってお父さん役の人がいるととても安心するようです。
     ダコタは時々学校に2,3日つづけて同じ服を着てきたり、顔などもしばらく洗っていない様子で学校にくることがありました。そんなときに持っている哺乳瓶のミルクは悪くなっていてひどい匂いがしていました。ダコタも寝むそうで疲れていて、とても機嫌が悪いです。お母さんのモニカは、決まってボーイフレンド(ダコタのお父さんではない)に学校まで送ってもらったりしていました。ある日、それについてモニカに言ったのですが、聞いているのか、いないのかわからないような態度で、僕はどうしていいのかわからなくなっていました。そんなある日、カウンセラーからモニカについて事情を聞くことができました。モニカのお母さんもシングルマザーで、そのお母さんも精神に障害があり病院を出たり入ったりしているとのことでした。モニカは家族の面倒を一人で見ていたのです。そのためなかなか卒業試験にも受からず、生活費を稼ぐためにレストランなどでアルバイトをするのですが、ダコタの面倒をみたりで遅れてしまうのですぐにクビになっているようでした。そうしてイライラして、すぐに投げやりになってしまうようでした。
     一度モニカが言ったことがあります。「どうして私が悪いのよ!みんな私ばかり批難して!私ひとりで子供を作ったんじゃないのよ!なんで私ばっかり辛い目するのよ!」僕には返す言葉がありませんでした。その代り、できるだけのことをしようと思い、ダコタに中古ですが、服を用意したり、新鮮なミルクを買っておいたりしました。モニカからはThank youさえいってもらえませんでしたが・・・・
     2年後、僕は新しい仕事を見つけたので、その学校を離れることになりました。最後の日、生徒も帰った後、荷物をまとめていると、突然モニカとモニカのお母さん、そしてダコタが入ってきました。モニカは僕にお母さんを紹介した後、恥ずかしそうに、昨日ダコタと一緒に作ったといってA3サイズの厚紙に僕とダコタとモニカが写った写真を貼ってデコレーションした手作りのThank you cardをてわたしてくれました。そして「You know, Dakkota loves you very much. And we will really miss you, Taka. Don't forget Dakkota.」といってBig Hugしてくれました。僕は最後までモニカは心を開いてくれなかったなあと思っていたので、本当にびっくりして、同時に本当にうれしかったです。少しは彼らの役に立てたのかなあとおもいました。英語もうまく話せない僕でも、I thought that I could make thier lives a little bit better or easier. かなと思いました。
     今では僕にも3人の子供がいます。わっかているのですが、すぐ怠けて子供の子育てや家事をマリースに頼ってしまっています。そんなときマリースは決して文句を言いません。いつも黙って全部してしまいます。僕が気づくのを黙って辛抱強く待ってくれています。そんなときモニカのあの言葉を思い出します。「。「どうして私が悪いのよ!みんな私ばかり批難して!私ひとりで子供を作ったんじゃないのよ!なんで私ばっかり辛い目するのよ!」
僕たちはパートナーです。二人で一組です。お互いに助け合って子育ても頑張っていきたいです。モニカとダコタはものすごい大事なことを僕に教えてくれました。あれから13年が経ち、ダコタも15、16歳になっているはずです。どんな女の子になっているのかなと思います。
by takatsugupapa | 2009-02-12 20:57 | 子育て